大阪でハイキング! 施福寺

御朱印巡り

こんにちは!NICOです!

久々の更新になります。

今回も西国巡り畳み掛け。

今回は大阪府和泉市の施福寺へ。

和泉市はいずみ市と読みます。大阪の中でもかなり南の方で、和歌山に面している市です。

私の活動エリアから遠く、さらには山登りも伴うということで、畳み掛けるまで行ってなかった理由が透けてきますね。

今回は朝一に参拝です。

槇尾山を登るぞ!

施福寺参拝のため槇尾まきお山を登ります。

施福寺参拝のための無料駐車場があるのでそこまでは車で。

公共交通機関から向かわれる際はこちらをご参照ください。

オレンジバスのご案内/和泉市 (osaka-izumi.lg.jp)

山寺参拝あるあるとなってきているのがこれですね。

参拝口に置かれている親切な棒。

これから自分を支えてくれる相棒を選んで登れる訳なんですが、棒が用意されているってことは、、、それなりにしんどいことが示唆されているってことですからね、、、

 

杖は年寄りが使うものなんて偏見は不要。プライドは捨ててありがたく使わせていただくのがいいですよ。楽できるところは楽していきましょうや。

道の雰囲気はこんな感じです。

体感で30分くらいの山登りになるんかな?

結構急な斜面、急な階段も点在していてまぁまぁいい運動になりました。

 って澄まして言うてますけど普通に疲れます!

そりゃそうなんやけど、一応立山雄山のガチ登山経験してるし、悠々と登れたり、、とかはなかった。しんどいもんはしんどい。慣れるとかも多分ない。

標高3003m! 山頂の神社! – NICO先生(仮)のおでかけ御朱印巡り (nico-gosyuin.com)

西国巡り最難関と呼ぶ人も少なくないようです。

3月の参拝でも汗をかいたので、6月以降だと泣いてるんちゃうかな…

 

西国第四番 施福寺

山頂ではないんですが、槇尾山の標高500mほどの場所に位置するのがこちらの施福寺。

西国巡りの御朱印帳の水彩画は参拝口から3割くらい登った所の仁王門でした。

そんな施福寺は天台宗のお寺で弥勒菩薩を御本尊、千手千眼観世音菩薩を西国巡りの本尊としています。

創建は欽明きんめい天皇時代(539~571)とされており、古墳時代末期あたりになるので、かなり歴史あるお寺になりますね。

歴史の中では中世、南北朝時代に南朝方の拠点になったことで戦火に巻き込まれることも多く、寺は衰退。後には織田信長と敵対したことで1581年に仁王門などが焼き払われたのですが、1603年に豊臣秀吉の支援の下で復興し、近世以降は徳川家の援助により再び栄えたそうです。

短絡的に考えれば、織田信長の焼き打ちで有名なのが比叡山延暦寺で、天台宗の寺。施福寺も天台宗やから、延暦寺に同調したんかな? と思ったけど、施福寺は徳川家の支援を受けて真言宗から天台宗に改宗しているので焼き打ち当時は宗派は違うみたいですね。

【あの武将が比叡山に⁉】 比叡山延暦寺 後編 西塔エリア – NICO先生(仮)のおでかけ御朱印巡り (nico-gosyuin.com)

現在の仁王門は豊臣秀吉が支援して再建したものとはまた別で、江戸時代にまた焼失したものをまた再建したものが現在の仁王門です。

 

本堂内撮影可って珍しくない!?

そうなんです。施福寺は本堂内、仏像もすべて撮影可能!はじめてなんちゃうかな、堂内撮影可。

なんならじゃんじゃんSNSとかで拡散してってスタンスでした。

気兼ねなくブログにさせていただくことにします!

まず最初に見れるのが本尊の弥勒菩薩みろくぼさつ脇侍きょうじの文殊菩薩と千手千眼観世音菩薩。

仏像普段撮れることないからいざ撮る時にどう撮ればいいかわからんかったな、、

日本唯一! 方違観音菩薩

左に進むと日本で唯一、施福寺でのみ見ることができる方違ほうちがい観音菩薩です!

凶の方向を吉に変えてくれる観音菩薩で、転宅から転勤、結婚、旅行まで人生の節目にお参りすると良さそうです!「変化はチャンス、チャンスは変化」らしいです!

ちなみに、方位観によって凶方にあたる方角を避けようとするための呪術的手段のことを方違と言うそうなんですが、読み方が「ほうちがい」ではなく、「かたたがえ」って言うみたいです。

これまた日本唯一!?馬頭観音

こちらも施福寺の独特な観音さま馬頭観音。

頭の馬に目が行きますが、足の裏を見せている所もかなり個性的ですね。

そんな馬頭観音、西国巡り中興の祖と言われている花山法皇が施福寺参拝のための槇尾山登山で難儀していた際に現れ、花山法皇の施福寺参拝を助けたとされています。

西国番外 元慶寺 – NICO先生(仮)のおでかけ御朱印巡り (nico-gosyuin.com) 花山法皇出家の地

日本唯一と紹介されましたが、馬頭観音を祀っている場所は他にもあるようです。少なくとも花山法皇を助けた実践は唯一のものではありそうです。

なぜ馬なのかと言うと、馬は人間の生命力を表しており、さらにその生命力のもとは足であるとの考えから、足の裏を見せる像になっているそうです。

現代医療でも第二の心臓と言われてますもんね。平安時代の医療でそこまで進んでたとは考えられんけど、なんでなんやろうか、、、

 

ほかにも色々

伝教大師の最澄と弘法大師の空海。他にも多くの仏像に囲まれた空間を楽しめます。

疫病退散、角大師との別名を持つ元三大師の良源や、穴太寺にもいらした寝観音って言い方でいいんかな?も見ることができます!

【一つの寺に丸一日】 天台宗総本山 比叡山延暦寺 前編 – NICO先生(仮)のおでかけ御朱印巡り (nico-gosyuin.com) 

西国二十一番 穴太寺 – NICO先生(仮)のおでかけ御朱印巡り (nico-gosyuin.com)

関連ページみたいに出してみたはいいものの、穴太寺のページで寝観音について触れてないやん。

比叡山延暦寺の元三大師堂は元三大師の住居跡だったので繋がりを感じられます。

ちなみに、花山法皇が西国巡り中興の祖と言われていますが、元三大師も比叡山中興の祖と言われています。

 

施福寺で頂いた御朱印

こちらが施福治で頂いた御朱印になります!

おなじみ?の大衆の苦しみを代わり受ける観音様の慈悲の心を表した大悲殿が記されていますね。

西国巡り1300年記念印は羯磨かつまという法具だそうです!

 

まとめ

以上、西国巡り第4番施福寺でした!

西国巡り最難関と言われる山道でお腹いっぱいになることなく、多くの貴重な仏壇を近くで見るだけでは留まらず、撮影までできる。

さらに言えば、個人的には今まで行った、見てきた場所、モノとの繋がりが感じられてとても満足できる参拝でした。

 

今回はこの辺でおしまい!

次回も西国巡り畳み掛け。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました!

最初と最後に猫さんとデカすぎてつい買ってしまった三笠まんじゅうの写真でも。

コメント

  1. 名無し3号 より:

    織田信長に焼き討ちされたのは知行改めに応じず抵抗したのが原因みたいですよ。

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