甲斐国一宮 浅間神社

中部

こんにちは!NICOです!

前回に続き富士宮周辺。まぁ、富士山登る直前なんですが、、

静岡には、駿河国一宮として富士山本宮浅間せんげん大社がありますが、山梨に甲斐国一宮として浅間あさま神社があります。今回はそっちの方に。

 

位置としては富士山を中心とすると、富士宮市の浅間大社のほぼ対角といったところでしょうか。

甲斐国一宮 浅間神社

概要

山梨県笛吹市の一宮町一宮にある浅間神社。こういった住所を見るのは何度目でしょうか。

創建は浅間大社と同じ扱いで、垂仁天皇の頃、古墳時代ですね。

現在の位置に遷座されたのが865年、平安時代になります。前年の864年の富士山の大噴火を受けて山梨県側、甲斐国でも浅間神を祀るようになったとされています。 

このことを歴史書の日本三代実録では、駿河の浅間明神の祭祀怠慢によるものとし、甲斐でも浅間神社を建て、祭祀を行うべきだとの判断が下り、浅間神社が建てられたとされています。こんな生々しい判断理由まで残っていたのね… そう考えると、富士山を中心として浅間大社の対角にあるのも関係してそうですね。

御祭神として祀っているのは浅間大社と同じく木花開耶姫命このはなさくやひめのみことを富士の神して祀っています。浅間大社では木花之佐久夜毘売命の表記でしたが、まぁ、神様の表記は色々ありすぎるくらいなのでいいか。表記以前に名前も色々あるくらいやしな…

 

境内

境内もまた浅間大社と対照的で広くはなく、拝殿、本殿が参道に対して直角に配置されています。ちょっと珍しいですよね?

全国一の宮巡りの神社はそのほとんどが深い歴史と多くの信仰を紡いできたことにより各国の一宮と認められていますが、その信仰に境内の広さは案外関係ないことが伝わりますね。そもそも山梨県が山に囲まれている地形ですしね。

現に武田氏からの崇敬も篤かったとされる記録が残っており、江戸時代も幕府からの保護を受けていたりと、平安時代以降も長い歴史の中で重要な神社とされていたことがうかがえますね。

 

今回頂いた御朱印

こちらが今回頂いた浅間神社の全国一の宮巡りの御朱印になります!

でかでかと大迫力でかっこいいですね!

 

完全ににわかのイメージですけど、武田、甲斐のイメージと一致している感じもします。

ダイナミックな墨も繊細な墨も好きですねぇ。

 

おしまい!

以上、山梨県甲斐国一宮、浅間神社でした!

この日の晩に富士山に登るんですけど、、その日に富士宮市から山梨まで富士山半周してるんですよね…

そしてなんなら一周してるんですよね…

 

というわけで、次回は富士登山の直前にすることか?富士山一周立ち寄ったスポットを紹介できたらなと思います。

山梨で食べたかった鶏もつ煮は営業時間と臨時休業が相まって食べれなかったんですよね。また行きます。

 

ここまでお読みいただきありがとうございました!また次回。

コメント

タイトルとURLをコピーしました