こんにちは!NICOです!
前回に引き続き東海地方。
愛知県額田郡幸田町にある神社。岡崎市と蒲郡市の間の山に少し入った場所に佇む中正神社。
ここでは中華民国初代総統である蔣介石が祀られています。
東照宮として徳川家康が祀られていたりと、中世以降のほぼ確実に実在していたことが認められている人物が神社で祀られているということは不思議ではないのですが、なぜ、海外の人物が祀られているのでしょうか。
ちょっと見てみましょう。
貴嶺宮
中正神社は貴嶺宮の駐車場のそばに併設されています。
神社本庁に属していない独立した神社で、古代の神道を継承している神社となっています。
愛知県の幸田の地を日本中心地点とし、奥宮に造化三神と天照大御神を、本殿に建速須佐之男命と大己貴神を祀っています。神様のなかでも特に大きい(イメージ)所!
造化三神は天地ができた原初の頃に高天原(天界?神の地くらいのニュアンス)に出現した最初の三柱の神。
貴嶺宮の御朱印をなぜ私は貰っていないのだろうか。
富士登山後そのままの旅でそそくさと帰りたかったからなのか?
貴嶺宮という文字も美しく、朱印も神社というより寺のものに近いような御朱印だったので、立ち寄った方には是非頂いて欲しいところです。
境内には猫さんもいらっしゃいました。オッドアイじゃない!?
中正神社
そして貴嶺宮の駐車場付近に佇んでいるのが中正神社。
中華民国初代総統である蔣介石を祀っています。
中正というのは、蔣介石の別名が蔣中正であることからきているようです。中華民国では蔣中正の方が一般的だそうです。
そもそも中華民国とは?
ぱっと見は中国。でも中国は中華人民共和国ですもんね。
簡単に言えば、中華人民共和国の前が中華民国。清の後。 でもこれはちょっと語弊があって、、、
1911年に清国が辛亥革命により瓦解し、これまでの王が牛耳ってきた君主制から国民が選んだ代表が統治する共和制の国として1912年に樹立したのが中華民国。
歴史で聞いたもので言うと、1931年の満州事変、1937年の日中戦争、第二次世界大戦、太平洋戦争の時の中国は中華民国です。
中華民国はいまもある!??
中国と言う国としての中華民国は、国共内戦にて、共産党勢力に敗れ、支配範囲が少なくなっていきます。
そして1949年に中華人民共和国が建国されたのですが、完全に敗れ去ったわけではない中華民国勢力(国民党)。中国大陸の南の一部を犯行拠点として保持していましたが、次第に中国大陸の拠点を失い、最終的に台湾に中華民国政府を移転させ、今も台湾にて、中華民国を名乗っているといったところでしょうか。
ただ、現在でも国際的に難しい所で、日本を含む世界的にも台湾の独立は認められておらず、物事として完結しているものでもないのでこのあたりで降りておきます。
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なぜ日本に蔣介石が祀られているの?
日中戦争や太平洋戦争が行なわれていた時代と言うと、当時の中華民国と日本の関係って歴史上でもこれ以上ないほど険悪だったのでは!? 実際、日本という共通の敵が存在していた時期だけ、国民党と共産党が手を取り合っていた様子。
そんなころの総統がなぜ日本で祀られているのでしょうか。
それは、第二次世界大戦後の蔣介石の言動にありました。
怨に報いるに徳を以てせよ。それが中華民族の伝統である
蔣介石
恨みに対しても徳を、恩恵を施すことで報いると言った中国古代から伝わることわざだそうです。
そして口だけじゃない蔣介石。
日本分割占領の反対、賠償金要求の放棄、天皇制維持、軍官民200万人を即刻帰国させるといった敗戦国に対してこれ以上ないほどの寛大な処置をとっています。
まさに、今の日本があるのはこの処置の結果と言ってもいいのではないでしょうか。
そして、その大きな恩に報いるために、蔣介石の徳を称え、崇め、伝えるために建てられたのが中正神社ということですね。
いやぁ、すごいですね…!
それにしては神社こぢんまりしすぎちゃうんかい!!
いやいや、信仰は心ですからね。 こういって伝えられ、広がり、心に残ることが大切なんじゃないですかね。
おしまい!!!
以上、貴嶺宮の蔣介石を祀る中正神社でした!
中華民国、台湾、蔣介石について知ることができました。
特殊な神社に多くを学ばせていただけたことにも感謝ですね。
これにて富士登山から始まった東海旅もおしまい。
岡崎市の楽の湯で風呂入って岡崎SAで矢場とん食べて帰りました。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
また次回。
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