こんにちは!NICOです!
西国巡りの畳み掛けもいよいよおしまい。
満願寺とも呼ばれる岐阜県の華厳寺!
3月21日、記念印配布が終わるギリギリですね。笑
いよいよ最後 華厳寺
西国巡り満願の寺、華厳寺は岐阜県揖斐郡にある天台宗のお寺です。天台宗最澄比叡山と自動連想が中学の頃から身についています。
創立は平安時代の798年。十一面観世音菩薩を御本尊としており、山号は谷汲山。
「巡礼の終着駅」とのキャッチコピーは公式ホームページからの流用です。自分でこんなオシャレなこと言いたかった、、、
西国第三十三満願霊場 谷汲山華厳寺 (kegonji.or.jp)
「西国」巡り最後にして最東で最遠。岐阜。最西は姫路の書写山圓教寺でしたね。ブログにしてないけど、、、
華厳寺創立のお話 会津を目指しひとりでに歩いた観音像
華厳寺を建てたのは大口大領と言う会津、現在の福島県あたり出身の人物で、その会津の地に自らが信仰する十一面観音の像を建立したいとの願いを持っていたそうです。
大口大領が(京)都で十一面観音像を完成させ、会津に持ち帰っ行こうとする時、像はひとりでに動き出し、笠を被り、杖を持ち、わらじを履いて歩き始めたそうです。た、助かるぅ~!
しかし、像は現在の岐阜県である美濃国に入ったところで立ち止まり、こう言います。
「遠く奥州の地には行かない。我、これより北五里の山中に結縁の地があり、其処にて衆生を済度せん」
そうして、現在の谷汲山の地に着くと像は重くなり一歩も動かなくなったそうです。
大領はその意思を汲み取り、法然上人と共に華厳寺を山谷を開き、堂を建てたのが華厳寺の始まりだそうです。
私が大口大領だと、話が違う! せめて最初から言うといて? とか言いたくなっちゃうなぁ。笑
もしくは大領が長旅に心折れてそういう事にしたとか?(邪推)
はたまた、そんな大領の旅の苦しみを終わらせる観音様の慈悲の心が現れたとか?
華厳寺参拝
本堂までに感じる西国巡りの軌跡
山門をくぐると、いや、門前町から一直線に道が続いています。
竹には西国巡りすべての札所が記されており、映画などで見るエンドロールがリアルに現れているかのような気持ちになりました。
雨が降っていましたが、それも雰囲気を強めてくれていたのでしょうか。
精進落としの鯉
本堂入り口?の両脇にあるのが精進落としの鯉。
かつての巡礼者たちはこの鯉に触れることで西国巡りの精進生活から開放されていたそうです。
我々は精進生活まではできていませんが、西国巡りを一巡はしたので例にならって鯉に触らせてもらいました。
もっとも、今ではただなんか縁起良いみたいやから触っとこ!の目的も多いみたいですが。笑
少しだけでも本来の目的に近い意味で触れたことに優越感をもっているようでは精進からは程遠いですね。
華厳寺で頂いた御朱印
こちらが西国巡りで頂いた西国巡りの御朱印になります!
華厳寺では三つの御朱印を頂きます。
それぞれ本堂、満願堂、笈摺堂の御朱印とされており、それぞれが現世、過去世、未来世を意味するとされています。
本堂だけ大悲殿と書かれており、あと二つはお堂の名前が書かれていますね。
晴れて満願!
笈摺堂は千羽鶴が大量にあって撮っていいのかわからんかったから満願堂だけ。
お堂の写真にも写りこんでいますが、多くの狸像がありまして、中には見たことのある三猿の狸バージョンも見れました。
満願で賞状が頂けました。
門前町で散華の台紙を購入。散華は小さいのでなくしてしまっているものもあるのではないかと思っていたのですが、まさかの全揃い。管理できてた~
これにて西国巡りは一旦終了。
先達になる道もあるのですが、一旦おしまいです。
おしまい!
ここまでお読みいただきありがとうございました!
西国巡り、各お寺が深い歴史を持っていることもあって、それぞれに興味深い話や見どころがあって、巡礼をせずともまた行きたいと思えるお寺だらけで充実した巡礼になりました。
観音様の慈悲の心に触れる旅、一旦終了です。
ありがとうございました。
また次回。
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