金沢城と兼六園の桜
言葉はいらない満開の桜。
場所についてだけ言及しとこうか。
金沢城は過去に、織田家、豊臣家の家臣として名をはせた前田利家が治めていた城になります。
この時代にこの金沢、過去に言う加賀の国は石高100万を誇る国であったことから、前田利家は加賀百万石の祖とも言われています。
その影響は今でも残っているようで、この石川県あたりでは100万石という言葉を使った店名や商品名が結構見られました。
特別名勝とされている兼六園は日本三名園の一つとされており、広い空間に自然と人の手が共生して生まれた風景を楽しむことができます。
納豆もちが美味しかった…
兼六園から流れるようにたどり着く金沢神社
兼六園の敷地内にあるこちらの金澤神社は加賀藩城主の前田家の先祖とされている菅原道真を祀っています。
兼六園に溶け込んでいるため風景が良いですね。
なんというか、兼六園の完成された風景のまま、最後に神社に辿り着く流れがこの趣味だからこそ味わえているお得な感じがしました。
金箔ソフトに対するひねくれた会話
金沢では結構いたるところにソフトクリームに金箔を張り付けた金箔ソフトが売られています。
値段は千円。しかも結構並んでいる。
「金箔の味なんかないのにわざわざ千円払って金箔だけではしゃげるかね?」
と、ひねくれた発言を残しました。
そして、金澤神社の御朱印を頂く時。
わ…!御朱印に金箔付いてる!!!
はしゃぐ私と数分前の発言を訂正する私。笑
金沢ならではの御朱印を頂く喜びと金沢ならではの金箔を口に入れる喜びは一緒だ。
石浦神社
この日を象徴するような桜詣の御朱印とともに紹介するのは石浦神社。
兼六園を金澤神社の方から出て信号一つ渡ったところだったかな?
この日は迎え酒も置かれていてたくさんの日本酒がおかれていました。
見栄え写真映えもしていて人気の石浦神社ですが歴史は古く、創建は古墳時代と1500年ほどの歴史を誇り、金沢最古の宮でもあるようです!
御祭神として祀っているのは大物主大神(おおものぬしのかみ)で、これまた先ほどの気多神社の大己貴命(おおなむちのみこと)と同じく大国主命と同一視されています。加賀と越中で国が変わっているからとかも関係あるんかな?
神社のマスコットである「きまちゃん」進むべき道を示す、きめてくれることから名付けられているのおみくじがあり、そのおみくじを入れていたきまちゃんは今も我が家の勝尾寺のダルマと並んでいます。
金沢城の外周 尾崎神社
金沢城の外周にある尾崎神社は徳川家光の許可を受け、金沢東照宮として徳川家康を祀っています。
前田利家は豊臣の重鎮として名をはせたということで、前田家は徳川方江戸幕府からしても警戒すべき力を持っている外様大名。
加賀藩からすると徳川に不要な疑念を持たれたくないとの考えがあったのでしょうか。
加賀藩4代藩主である前田光高の時代に創建されました。
城の隣の神社やのに城主を祀っているわけではないのか、と思いましたがそんなことはなく、今では三代城主である前田利常も祀っています。
前田利常を祀り始めたのは明治時代になってからのようで、やはり当時は許されなかったんでしょうね。
御朱印と一緒に渡された紙には東照神君御遺訓として金言が記されています。
人の一生は重荷を負て遠き道をゆくがごとし いそぐべからず 不自由を常とおもへば不足なし こころに望みおこらば困窮したる時を思ひ出すべし 堪忍は無事長久の基 いかりは敵とおもへ 勝事ばかり知つてまくる事わしらざれば害其身にいたる おのれを責めて人をせむるな 及ばざるは過ぎたるよりまされり
自戒として持っておきたい言葉ですね。
自分に言い聞かせる言葉としては素晴らしい言葉ですが、人に言い聞かせると都合よく支配する言葉になってしまう言葉の危うさも感じますね。はいひねくれてる~
帰りに大トラブル 福井に財布を落として…
まぁ見出しの通りなんですけど。
この旅は青春18切符を使っているため行きも帰りも在来線のみ。
金沢から福井。福井から敦賀、敦賀から大阪…というルートで買えるのですが、福井での乗り換え待ちに寄ったカフェに財布を忘れる。気付いたのは福井から一時間の敦賀…
友人に土下座をして一人福井にとんぼ返り福井敦賀往復2時間…!
在来線の終電はないため、福井から大阪まで特急を利用。
ヤケで購入かに弁当は美味しかった。
自分で引き起こして言えたことじゃないけど旅のトラブル結構好き。笑
終わって見ればなんと締まりの悪い旅だったことか。まぁちゃんと帰れたからヨシ!
この旅に合わせてこのページも緩く締めておこう。
またみてね^^
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