こんにちは!NICOです!
前回に引き続き徳島県。
前回、阿波一宮ではあるが全国一の宮巡りには入っていない神社を三ヶ所行きました。
今回は全国一の宮巡りで阿波一宮とされている大麻比古神社です。
場所としてはこのあたり。
徳島県の中では比較的淡路島側で本州からも行きやすい場所なのではないでしょうか。
大麻比古神社
大麻比古神社は徳島県の鳴門市大麻町板東にある神社です。
創建された年は定かではないですが、平安時代初期の927年に完成された延喜式の中に阿波国の大社としての記載があるようで、少なくともそれよりも前の時代からそれなりに人々の信仰を集めていたことが伺えますね。
前回触れた全国一の宮ではない阿波国一宮の神社では、すべて天石門別八倉比売神社の論社のひとつとして扱われていましたが、どうやら大麻比古神社は論社の点ではあまり関係なさそうです。
ただ、一説によると、大麻比古神社は南北朝時代、足利方、北朝方であった細川氏の守護所から近く、対する一宮神社の一宮氏はそれに敵対していたことにより、阿波国一宮の地位が入れ替わったとの見立てもあるようです。
御祭神として大麻比古大神と猿田彦大神の二柱の神を祀っており、阿波国に加えて淡路国とふたつの国の総鎮守とされています。
境内
狛犬の目がくりっとしており双方額のようなものに足をかけている独特な見た目が気になりました。
樹齢1000年を超えるとされている御神木の楠。
高さ22mで鳴門市指定の天然記念物とされているようです。
心願の鏡池とめがね橋
こちらは第一次世界大戦時、ドイツ人兵士の捕虜が神域を散策した際に故国を思い掘った池と建てた橋だそうです。池は神社によって拡大されていますが、この板東の地は捕虜と地域住民が良好な関係を結んでいた世界的にも珍しい場所であり、その名残が垣間見える場所となっています。
ドイツ橋。
先ほどのめがね橋よりもよっぽど本格的な橋が見えます。
先述の通りのドイツ人捕虜と地元住民との良好な関係に対してドイツ人捕虜がドイツの優れた土木技術を用いて感謝を示すために架けた石橋のようです。
以前、中華民国初代総統を祀っている中正神社に行ったことがありますが、規模は劣ると言えど、戦時中に相手の人権を尊重する考えと地域としてもそれを容認できるあたたかさが存在していた場所があり、それが形として残されているのは良いですね。
次回このあたりをもうちょっと掘り下げます。
今回頂いた御朱印
こちらが今回頂いた全国一の宮巡りの御朱印になります。
淡路一宮の伊弉諾神宮の隣です。
おしまい
今回はここまで。
徳島ラーメン始めて食べたんですけど、これがまた美味しかったです。
見た目の割に濃すぎるなんてこともなく、シンプルにまた食べたいなという感想。
徳島は淡路島跨ぐだけやし行きやすそうに感じる割には行ってないんですよね。
大塚国際美術館とかもいきたいですね。
今回はこのあたりで失礼します。
次回はドイツ人と板東の関係について掘り下げ。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
また次回。
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