こんにちは!NICOです!
今回は島根。
前回の訪問から半年ほど経った頃にもう一回島根へ。
前回の訪問時に行かなかった場所をブログにできたらいいな(希望)
世界遺産 石見銀山
世界遺産 石見銀山について
島根県の西部、太田市にある石見銀山。「いわ」と読むのに漢字が石なのが逆に覚えやすい。
石見銀山遺跡とその文化的景観は2007年に鉱山遺跡としてはアジアで初めて世界遺産に登録された場所になります。
世界遺産として認められている敷地面積はディズニーランド11個分に及ぶそうです!?
ではその広い場所の何が重要なのか。
まず1つはその名の通り銀が取れることから、歴史的に重要な場所であったということ。
鎌倉時代に発見されたとの記録が残っており、戦国時代から江戸時代あたりの全盛期は世界の産銀量の3分の1が日本産出だったとされており、その中のほとんどが石見銀山の銀であったと考えられています。
1500年以降は大内、尼子、毛利と大名による銀山の争奪戦が起きるほどの重要地であり、豊臣天下の時代には秀吉の朝鮮出兵の資金源の1つにもなっていたようです。
関ヶ原の戦いの後は徳川が支配し、後に幕府のものになるなどと、歴史的に重要とされていた地であることがわかりますね。
銀山としては江戸時代の1700年あたりから産出量の低下が見られ、その後も地下水による水害にたびたび襲われたりと、明治大正、昭和の戦時中も銀や、戦争で必要になる銅の産出を目指して利用されていたものの、昭和18年、1943年に完全に閉山されています。
そしてまた1つが、そんな歴史的な坑道跡から工房、銀生産に関わるものが状態よく残っているから。
石見銀山には「間歩」という、いわゆる坑道が多く点在していて、現地の人から聞いた話では、「間歩」は手作業で掘り進めたもの、「坑」と呼ばれるのは機械を用いて掘ったものと言った違いがあるようです。時代的に、明治時代から坑道と呼ばれるようになり、それ以前が間歩と呼ばれていたようなので、間違いもなさそうです。
そして、石見銀山の間歩は手作業で、ノミを用いて掘った跡までがしっかりと残っている、保存状態の良いものが多くあります。
そしてまた1つは、鉱山運営が自然環境と一体化されていたことで、文化的景観が今でも残っていることです。
なんとなーーく、鉱山のイメージとしてはこんな感じ。
ご覧の通り、自然がないのです。
それもそのはず、鉄であれ銀であれ、精錬するためには多くの木材を必要とすることから、山の木が刈りつくされることが普通でした。
しかし、石見銀山はどうでしょうか。
こちらが石見銀山の地形図になります。緑がわかるものじゃなくて申し訳ない。
銀山によって山間部の谷の部分、平地が広いとは言えないような場所に街が栄えているのが確認できます。
しかし、石見銀山は鉱山の例に倣わず、完全に緑に囲まれているのです!
現代に至っても美しい歴史的建造物と緑と点在する間歩。なぜこのような景観が残っているのでしょうか。
それは、採掘当時から大規模に山を切り崩さずに鉱脈に沿って道を掘り進めていたことにあります。戦国時代の全盛期はともかく、昭和でもその手段を取っていたのは戦時中によるコスト削減のためなのか、歴史的な価値が当時から認められていたからなのか。
また、森林伐採においても、伐採した数と同じだけの量の植林が施されていたからだそうです。
なんと!現代で求められている持続可能の最先端がそこにあったということなのでしょうか!?
すごいの一言に尽きます。
龍源寺間歩
そんな石見銀山ですが、観光エリアとしてそれなりに広く、大きく銀山地区と町並み地区に分かれています。
今回私は銀山地区を中心に楽しみました。
2つの地区の間に位置する観光案内所に車を停め、500円のカートに乗せてもらい龍源寺間歩へ。カートの運転手さんからも石見銀山についての興味深い話を教えて頂けます!
町並み地区から銀山地区まで幅広くゆっくり楽しみたい方はカートの他にレンタサイクルを検討してもいいかもしれません。
石見銀山には大小合わせて600以上の間歩があり、目につく洞穴はだいたい間歩。その中でも特に大規模な間歩の1つが龍源寺間歩です。
全長は600mでその3分の1を歩くことができます。
改めて、間歩というのは、ノミを使って手掘りで掘られていたものなので、、、規模、、、
この頃は6月末だったので、外は完全に夏の暑さに包まれていましたが、間歩の中は涼しくて超快適!!
いやぁ、ここまでこんなに学んで、手掘りで掘られて先人たちによって残されてきた史跡に行って軽々しくそれ言っちゃう?って自分でも思う。
けど仕方ない。カート待ってるだけで汗すごい流れてたんやから許してください。
実際、ノミの跡から排水のための横穴など、当時の働く人々の姿に思いをはせることができます。
そもそも洞窟ってだけで心躍るんですけどね。
月日が経って排水用の横穴にコケが生えていたりと、神秘的な姿も確認できます。
一見の価値アリです!
帰りは歩き
全盛期の名残 神社やお寺
緑で囲まれた銀山地区には最盛期に建てられたとされる神社やお寺が多く確認できます。
中には、今はもう運営されていないものもありますが、石見銀山の街並みの1つとして保護はされているので、雑草に囲まれてても、建物がある、形があることから参拝されることもあり、信仰は廃れてはいないとも言えますね。
リアルラピュタとも呼ばれる 清水谷精錬所跡
清水谷精錬所跡。季節によって姿をがらっと変える場所です。
熱いし、スケジュールパンパンで、さっとみてさっと動いていたので凝った撮影はできていないのですが(言い訳)確かにあのロボット兵が潜んでいてもおかしくはないですね。
この精錬所は明治時代に作られたものなのですが、当時はもうすでに銀山の全盛期が終わっており、この精錬所が稼働していたのはわずか1年半ほどだったようです。
かっぱにえさを与えないで!
かっぱ伝説とかが大々的にされているわけでもない中で唐突に現れるこの看板。
急すぎて逆に信憑性がでてきますね。
絶滅の恐れあるなら保護せんかい。笑
かっぱには出会えませんでしたが、まさにこの場合で真っ赤なかにちゃんには出会えました。
むしろかにに夢中になって振り返ったらかっぱの看板見つけた感じ。
苦手な人もおるかもやからちょっと小さめにしとこ。
羅漢寺 五百羅漢
どこが撮影可能かわからんかったので確実に大丈夫なとこだけ。
石見銀山の観光案内所の近くにある羅漢寺。
お釈迦様に付き添っていたとされる500人の弟子、五百羅漢の像を石窟の中で見ることができます。
左右2つの石窟に250体ずついるのですが、半分ずづでも圧巻!
五百羅漢像一体一体の表情、姿勢が違っていて、居眠りしてない?こっちではおしゃべりしてる!?って感じで楽しむこともできます!
御朱印
こちらが頂いた御朱印。
綺麗!!!!
頂ける御朱印の種類もたくさんありましたが、一目でどこかわかるものを頂きました。
観光案内所で御城印などを購入
買いすぎ!
石見銀山と龍源寺間歩と石見銀山争奪の際の城。
石見銀山の家紋は尼子や徳川もあったのですが、なんとなく毛利を選択しました。
おしまい!
今回はここまで!
本来は石見一之宮の神社も一緒にしようとしてたけど石見銀山だけで大ボリュームでしたね。
しかもこれでも銀山エリアだけで町並みエリアに行ってないときた。
また行かないといけませんね。
それではここまでお読みいただきありがとうございました!
また次回。
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