こんにちは!NICOです!
前回に引き続き徳島県鳴門市。
前回、少し、この鳴門市板東の地でドイツ人捕虜と日本人の世界的にみても珍しい良好な関係と、その感謝の証となっている橋に少し触れました。
今回はそれを掘り下げ。
板東の地にあった板東俘虜収容所が現在もドイツ村公園として残っており、第一次世界大戦の頃からの日本とドイツの友好関係を示していたのです。
第一次世界大戦時の奇跡の収容所 板東俘虜収容所
1914年、大正3年。第一次世界大戦中、中国の青島の戦いにて、日本はドイツに宣戦布告。3か月もしないうちに勝利。
日本は4700人を超える捕虜を受け入れ、その内の約1000名が1917年に完成した板東俘虜収容所に収容されることとなった。
捕虜と俘虜の違いは現代ではあまりないようです。捕らえられた兵士を捕虜、収容された捕虜を俘虜と言い分けられていたようですが、このページでは分かりやすく捕虜で統一します。
捕虜の扱いについては1899年のハーグ条約以降、国際法でも捕虜に対する人道的な扱い、権利保護が世界的にすすめられていた時期ではあるものの、日本国内では捕虜となることを辱しめを受けることと同義とし、自決がすすめられていたという背景を鑑みれば、捕虜に対して非人道的な扱いまでは言わずとも、負けても自分の命が惜しい情けない者といった程度の目が向けられるのは予想できてしまいます。
そんな中、捕虜に対して良好な関係を築いたのが当時の板東俘虜収容所の松江豊寿。
松江は会津藩士の家に産まれたのだが、幼少期の松江を取り巻く環境のひとつとして、会津藩が戊辰戦争に敗れたことが考えられています。しかし、1872年に松江が産まれたのに対し、戊辰戦争は1869年まで。
降伏した側の屈辱を知っていたとも言われているが、戊辰戦争が終わり松江がそこそこ成長するのに10年ほど経つなかで、さすがに知っていたとまでは言えないのではないだろうか…って思うやん?
戊辰戦争に破れた会津藩は23万石から3万石に転封され、収容能力のない土地に移住した旧会津藩士からは飢えと寒さによる死者が続出するほどの苦しい状態になったようなので、敗れた側の苦しい現実は子どもながらに身をもって体感し、育ってきたのでしょう。
事実として松江はドイツ人捕虜に対して祖国のために戦ったことに対するリスペクトを持った上で、武士の情けを根幹として扱う方針を示したようです。
いくら時代が捕虜を人道的に扱うようになってきているとは言え、収容されている捕虜に見張りがつくことすらなく、元は民間人であった捕虜は各々の職の技術を地元住民に教えながら本来の職業活動も許されており、収容所内に捕虜によるパン屋から農牧場までつくられていたのは破格の待遇ですよね。
そんな緩い環境にもかかわらず、いや、そんな情けとリスペクトが保たれた環境だからこそ、ドイツ人捕虜も松江を慕い、脱走者も反乱する者も出てこず、地元住民と安全な文化交流の場とされ、世界でも類を見ない収容所として伝えられている場所になったわけですね。ドイツ人捕虜が持ち帰った写真の中には松江が写っている写真も多くあったようです。
前回の大麻比古神社のドイツ橋と同じような橋が収容所があった敷地内に残っています。
これもまた、文化交流の遺産で、当時の日本より進んでいたドイツの土木技術を教えてくれたことを表しています。
感謝と敬意 第九が日本で初演奏された場所
文化的な生活を許されていたドイツ人捕虜は温かく迎えてくれた松江と地元住民に感謝を込めてドイツ人であるベートーヴェンの交響曲第九番を合唱付きで演奏しました。
これが日本で初めて交響曲第九が演奏された場所として伝わっています。
「歓喜の歌」とも呼ばれるこの曲は戦争に敗れ、捕虜として収容されている集団が歌うには明るすぎるはずですが、そんな曲を捧げられるほどの関係が確かに存在していたのでしょう。
というか、第一次産業から二次産業、演奏まで、いくら元は民間人であったとは言え、ドイツ人兵士、多彩すぎんか!?
日独交流の原点
今でも板東俘虜収容所跡にはドイツ兵の慰霊碑など、国境を越えた交流の軌跡が残されており、今日まで続いている日独交流の原点でもあるわけですね。
幸せなことに戦争を知らない私が正しい想像をできているのかはわかりませんが、戦時中なんて敵国の人間すべてを憎く思えないとやってられないんじゃないかと思います。そんな世界の中で、ましてや勝者と敗者という上下の立場がわかりやすい環境の中でお互いにリスペクトを持てる関係が形成できるなんてことが確かにあったこと、それが今にまで伝えられていること。素晴らしいですね。
言ってしまえば遺跡なんて、収容所跡なんて、とくに何もない跡地なんですけど、確かに行って良かった、いいものが見られた、そんな気分にしてもらえました。
おしまい
今回はこのあたりで終わっておきます!
写真は慰霊碑の近くにいたお猿さんです。
こんな素敵なお話と場所を知れるなんて思いもしませんでした。
大麻比古神社に行く際には近いので立ち寄ってみるのもいいかと思います。
あ、今回で四国おしまいかな。
四国、まだまだ見てみたい場所がある素敵な場所でしたね。
また来ます。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
また次回。
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