こんにちは!NICOです!
今回はまたもや西国巡りのひとつ、六波羅蜜寺。
西国巡りとは言っていますが、それぞれが歴史深いお寺なので、西国巡りをしていない方にも足を運んで頂きたいとは常々思っています。最近は西国巡り西国巡り言うてるので。
西國十七番 六波羅蜜寺
六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)は前回の今熊野観音寺と同じ京都市東山区にあります。
西国十五番 今熊野観音寺 – NICO先生(仮)のおでかけ御朱印巡り (nico-gosyuin.com)
東山区の轆轤町と言う場所なんですが、、、なにこの字!?
轆轤町、ろくろ町と読むらしいです!難しっ
髑髏が由来の轆轤町!?
陶芸の回すあの台の「ろくろ」もこの漢字ですし、妖怪のろくろ首もこの漢字になるみたいです!
そんな轆轤町の由来は髑髏(どくろ)にあるんだとか。え、ホラー?
今でこそ、火葬が主流の我が国ですが、考え直して見れば結構合理的です。菌や虫などのリスクもないし。場所もとらんし。
仏教としても火葬を勧めていたようです。
平安時代や奈良時代はしかし、燃やすための燃料やら資材やらは今ほど簡単に手に入る時代、でもなく、火葬は主流ではなかったようです。
当時の京都は都。人が多く集まる分当然死者も多かったはずです。医療の発展もそこまでなので人が多く感染病が流行っても対処できなかったり、、と言うこともあったでしょう。
高位のひとならば火葬もされていたでしょうが、多くの人はそういう訳にも行かず、死者も多かったので土葬として埋めるのもやってられない。
そんなら一箇所にまとめて置いとくしかない。とでもなったんですかね?
その場所が髑髏町と呼ばれるようになった。という話です。ここまで言えば言わなくてもわかるよね?
時代が進み、髑髏というのは縁起が悪い、と言う意見から轆轤町に変わった。と言う感じですね。
轆轤町には、「六道の辻」と言うこの世とあの世の境目と呼ばれる場所もあるようです。ゾロの技名だ…!
ちなみに、清水寺の近くの鳥辺野(とりべの)という土地もその遺体を鳥がついばむことから付けられた地名だそうです。今は大規模なお墓が置かれているようです。
っと、、結構ボリューミーな脱線となりましたね。笑
気を取り直して六波羅蜜寺
そんな場所にある六波羅蜜寺、真言宗のお寺で、平安時代の951年に空也上人によって建てられたとされています。
空也上人自らが刻んだ十一面観音像を本尊として祀っています。
そう。あの、空也上人。
空也上人を見るべき!
空也上人って誰なん??って方もいらっしゃると思います。
写真を見たらハッとする方もいらっしゃると思います。
よく教科書に載っていて、特徴的な見た目であるあまり記憶に残っている空也上人です!
この木造空也上人立像、空也上人が南無阿弥陀仏を唱えるとたちまち六体の阿弥陀仏が口から現れたとされる言い伝えに基づいた像となっています。
それほどまでに徳の高いお方であったことが歴然です!
そしてこの像が見れるのが六波羅蜜寺となっています!
仏像などに関しまして、まだまだ理解が及んでいない私ですが、この空也上人立像を見た時はかなり感動しました!
見たことある!サイズ感(人より少し小さいくらいで見やすい)もいい!動き出しそう!服装!角持ってる?目光ってて水晶?きれい!口の阿弥陀仏小さい!細い!
などなどなどなど、かなり魅入ってしまいました。一回じっくり見て折り返してまたじっくり見た。
最近どこか知らんけど東京に空也上人立像が大量発生してたのが話題になってましたね。そうだ、京都いこう。
そんで結局空也上人ってどんな人?って話ですよね。
疫病が蔓延する京都で十一面観音像を車に乗せて引きながら歩き回り、念仏を唱えながらお茶を振る舞い、多くの人を救ったとされています。
数々の地で修行をし、様々な宗派との関わりを持ち、超越した存在であったことが伺えます。
六波羅蜜寺ではそんな空也上人の御朱印も頂けます!
六波羅蜜寺で頂いた御朱印
こちらが六波羅蜜寺で頂いた西国巡りと空也上人の御朱印になります!
それぞれ、六波羅堂、空也と書かれています!
空也上人立像に感動した直後に空也上人の御朱印が頂けるのは素晴らしいですね!
まとめ
以上、六波羅蜜寺でした!!
いや~いいもん見れましたよ!
ほんとにおすすめです!
全然なんもまとめてないけど…笑
ここまでお読みいただきありがとうございました!
また次回。
コメント