こんにちは!NICOです!
前回に続き宮城県。
東日本大震災の被害の記録、伝承のために震災当時の姿のまま保存されている施設、震災遺構を見学させて頂きました。
デリケートな話にもなってきますので、ブログ載せるべきか悩みましたが、震災遺構というもの自体が伝承を目的としており、私としても実際に目で見てきたからこそ実感できたものも少なくなかったので、ここでもまた、記録、伝承(と言うには力不足か)と言う形を取ろうと思います。
津波の写真、映像は出しませんが、震災、津波、火災による被害の写真は出てきます。
我々も見学中にいろんな情報が頭を回って少し体調を崩したので、ここをご覧になる方も無理のない範囲でご覧ください。
2011.03.11 東日本大震災
ほとんどの方がご存知だと思いますので、情報説明は省略します。
当時の私は小学5年生。10歳11歳の年でした。
関西に住んでいたので幸い、私の周りには特筆すべき被害などはなかったと記憶しています。
それでも、関西にも震度3ほどの揺れがきていて、授業中、頭が揺れる感覚があったことを覚えています。
しばらくの間、テレビでは左下に被害状況などが流れており、CMも撤退することで同じCMばかりを目にし、非日常であることを認識しつつもまだ子ども、想像力の不足、当事者意識の欠如があったと思います。
今になって振り返れば震災の記憶はあると言えども、ニュースで何回も見たと言えども、成長した今、まだまだ知るべきものはあると思い見学へ。
石巻市 震災遺構 門脇小学校
仙台から車で1時間ほどの場所に位置する石巻市の震災遺構、門脇小学校です。
松島からは40分ほどでした。
この写真からも分かるように、校舎がボロボロになっていますが、こちらは津波火災の被害が残っている建物となっています。
津波、ということで水のイメージが強いですが、津波によるオイル、ガソリンの漏れ出しや可燃性の高いものの流出、電気系統などが原因となり火災につながることは不思議なことではないようです。
ここでは避難してきた多く保護者の車が流されガソリンが引火し、津波による消火活動の難航もあり、3日間火事が続いたようです。
被害の記録
中はこんな感じ。基本的に外付けされている道から覗く形になっています。
中だけじゃなく外にも注目して頂きたいのですが、外、河川敷かのような平野が広がっています。
震災前の街並みと比較できる写真があるのですが、その写真ではもちろんこんな原っぱではなく、たくさんの家が確認できました。
比較写真もあるのですが、あまりにもお墓が多く映っている控えておきます。
ここから読み取れることは、瓦礫の撤去は終わっているが、元通りの姿とは言えないという実態ですね。
石巻市内でも、新しい建物を建てる工事をしている姿は確認できたのですが、海側はまだまだただの平野状態というのは、人が戻ってこないからなのか、地盤にダメージが残っていたりするのか、とにかく、未だ震災遺構外の風景からも爪痕、とまでは言わずとも、カサブタをみたような感じです。
避難意識の重要さ
なにを当たり前のこと言うとんねん、という見出しなのですが、ほんとにそうで、
海からも近く、津波火災により見るからに廃墟と化しているこの門脇小学校ですが、震災による犠牲者は最小限に抑えられています。
震災により下校した7名の生徒が亡くなってしまったと言う記録がありますが、学校に残った生徒は全員が無事。
その要因は、普段から避難訓練がしっかりとされていたこと。
普段の避難訓練がしっかりされてきたからこそ、有事の際も児童生徒は教職員の指示を聞くことができる、なんなら、教職員の指示が通りやすい環境を作ることができる。
さらに、近隣住民との連携も普段からとっていたからこそ、保護者、近隣住民、児童生徒共に近くの山に避難することができたようです。
震災の姿を残している展示以外にも、避難者、教職員、児童生徒、保護者の声が記録されており、学ぶことも多くありました。
気仙沼市 東日本大震災遺構・伝承館 気仙沼向洋高校旧校舎等
次は気仙沼市。石巻市から車で1時間15分くらいでした。宮城県の北東部ですね。
同じ宮城県内ですが、距離として78㎞も離れています。津波は岩手、福島にまで及んでいたので、改めて津波の範囲の広さ、恐ろしさを実感させられます。
ここでは気仙沼向洋高校の校舎の中を見学できます。
火災の被害はなかったからか、門脇小学校よりは立ち入れる場合が多かった印象です。
可視化されている津波の被害
校舎の壁が欠けている外側と内側の視点です。
これは津波に流されてきた冷凍倉庫がぶつかったときのものです。当時、生徒たちはこの校舎の屋上に避難していたようで、校舎の損傷具合から見るにかすめただけのぶつかり方をしたのは不幸中の幸いと言えるでしょう。
校舎に囲まれている中庭にも津波が侵入している様子です。
確認できるヒバの木は津波の写真だと完全に沈んでいるにもかかわらず10年経過した今もなお根付いているのは驚かされます。
今気付いたのですが、この時、おそらく人生ではじめて「学校の屋上」に入っているんですね。私。もちろんこの時は現実に起こった被害、情報を受け止めるのに精一杯で気づきもしませんでした、、
屋根が流出した屋内運動場。写真と景色をなんども照らし合わせてやっと理解できました。
体育館の中が空き地になってる、、
このスペースに流された家の一部が挟まっています。
津波の引き波の影響のようです。そしてこの先に見えるのが、
折り重なった車。外の瓦礫は撤去が終わっているのでなかなか見ることのできないものなのではないでしょうか。
津波が引いた後も街中でこの景色があふれていたことを考えると、、私だと気持ちを強く持っていられるのか、どうか不安になります。
校舎の中にも流された車が確認できます。
驚くべきはここ、校舎の三階なんです。
流された車がこんなにも容易く建物に入って来るのをみると、この場所も門脇小学校のような津波火災が発生してもおかしくなかったのでしょう。屋上へ避難し、被害が生まれなかったのは単なる幸運によるものだということが背筋を凍らされます。
まとめ
以上、石巻市と気仙沼市でみた東日本大震災、震災遺構でした!
当時、足りていなかった想像力と当事者意識を保管するような感覚で、目を背けることのできない現実を前に、少し頭を抱えつつの見学でしたが、この目で実際に見ることが出来て良かったと思っています。
今後もいつ我々を襲ってくるのかわからない自然災害に遭遇した時、こういった場所から紡いでいく教訓を活かせるように、忘れないように、日々を送っていければいいですね。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
三日間東北の旅はここで終わりですね。
とりあえず東京に戻りましょう(家関西やで)
また次回!
コメント
本当に地震は怖いですね。津波は地震そのものの怖さとは全てのものを押し流してしまうという別の怖さがありますね。
被害を見るだけでも恐ろしさを再体験することになりましたからね、、
避難の難易度が地震とは桁違いのようですね、、